年齢を重ね、この世界により深く関わるようになるにつれて、私は「良心的に消費する」とは何を意味するのかを考えるようになりました。それは生活や消費のあり方に影響を与え、とりわけデザインの背景にある思想にも直結しています。

そしてこれは本質的には自己中心的な選択です。できる限り、消費するものに絶対的な喜びを見いだそうとする行為。完璧な一杯のコーヒー、理想的に仕上がったポーチドエッグ──。そうした小さな喜びを準備し、守り、長く大切にすることが、私が目指したい人間像を示しているのです。

新しいものを作るとき、私は同じような魅力を持たせたいと願います。投資に値するもの。それは金銭的な意味以上に、時間と労力を投じる価値のあるもの。着ること自体に意味があり、メンズウェア黄金期の衣服のように、美しく年を重ねていくものを作りたいのです。

Albert Camus, David Hockney

私は長らく「大きくブランドロゴを主張する服は、それ自体の力では立てない服だ」という考えを持ってきました。挑発的で議論を呼ぶ立場かもしれませんが、ブランドはしばしば服そのもののスタイルや価値を覆い隠し、単なる「ブランドによるスタイルの借用」に置き換わってしまう。私は、文化的な連想やブランドの認知から切り離されても、服そのものが本質的に確かな価値を持つべきだと考えています。

先日、友人であり同時代の仲間でもある「Permanent Style」のサイモン・クロムトンと話す機会がありました。美意識は大きく異なるものの、彼は「作り手」ではなく「消費者」としてこの業界に真摯に関わっている人物であり、その視点から語り合うのはいつも刺激的です。

その中での好例が、シンプルな5ポケットデニム。私はジーンズを「衣服の最大の平等主義者」とよく例えます。工場から出たばかりの新品が最も味気なく、痛みを伴う青春期を経て、着る人に完全に馴染んだときこそ、最も愛される存在になる。最高の状態に達したときには、むしろ次に履くのをためらうほど貴重な一着になるのです。 

Charles Weaver, Johnny Cash, Martin Sheen

どれほど化学的にエイジング加工しても、実際に着込まれたデニムの風合いには敵いません。富豪であっても、唯一の一着を何年も穿き続ける少年が作り出すような美しいジーンズを偽造することはできない──これこそが平等の象徴です。  

Bryceland's Denim Chore Coat, Jelt Denim Chino Trousers

私は長年、古い衣服に魅せられてきました。使い込まれ、装飾され、カスタマイズされ、大切にされてきた服。それこそが私たちが作るもの、選ぶものに追い求めるクオリティです。これは簡単な道ではありません。金銭的な負担だけでなく「着続ける」というコミットメントを求めるからです。立たせるほど硬いチノが、数年後には温かいナイフにバターのように馴染む。そんな時間を必要とする服です。

「良心的に装う」ことはさまざまな形を取ります。場に敬意を払い、足音を和らげるように身なりを整えること。小規模な作り手や家族経営のブランドを支え、志を持って挑む企業と関係を築くこと。

しかし、その最も純粋な姿は、私たちが購入する一着一着を敬い、慈しみ、共に時間を重ねていくことにあります。服を育て、私たちが受け取る以上のものを服に注ぎ返すことなのです。

 

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