Written by Tony Sylvester
アメリカのガラス乾板写真家 マイク・ディスファーマー については、基本的な経歴以外ほとんど知られていません。しかし、20世紀初頭のアメリカ南部における農村生活を記録した「事実上の社会的ドキュメンタリー」としての彼の遺産は、計り知れないほど大きなものです。
1884年、インディアナ州にマイク・マイヤーとして生まれた彼は、8歳のときに家族と共にアーカンソー州へ移住しました。ドイツ系移民の家庭に育ちましたが、農村での生活には馴染めず、名字「マイヤー(酪農家)」に反発するように「ディスファーマー(=反・農夫)」と改名。自宅裏のポーチに暗室とスタジオを構えました。
1930年の竜巻で家もスタジオも破壊されると、町のメインストリートに新たな店舗を構え、約30年間にわたり「ペニーポートレート」を提供。自然光のみを使い、数時間に及ぶ丁寧な撮影を行ったポートレートは、小さな記念写真以上の厳粛さと、率直で個人的な洞察を備えていました。
町の人々からは風変わりで傲慢だと思われながらも、その腕前は高く評価され、1959年に亡くなるまで膨大なアーカイブを残しました。3,000枚以上のネガは忘れ去られるところでしたが、元陸軍技師のジョー・オールブライトがその価値を見抜き、保存に動きました。
1970年、地元紙「アーカンソー・サン」が古い家族写真を募集した際、オールブライトがディスファーマーの写真を提供したことで再評価が始まります。編集者フィル・ミラーはその力強さに感銘を受け、コレクションを購入・整理。やがて地元展覧会や出版を経て、国際写真センター、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館など世界的な舞台で紹介されるようになりました。
ディスファーマーのポートレートは、当時の「普通の人々」がどのように装い、自己を表現していたかを示すタイムカプセルです。20世紀初頭の写真の多くが著名人か、あるいは貧困層を憐れむような視点で切り取っていたのに対し、彼の作品には判断や偏見はなく、その時代、その場所に生きる人々を dignified に記録しました。
大恐慌時代から戦後にかけて、人々は仕事着や軍服、日曜礼拝用の「一張羅」をまとい、撮影に臨みました。作業用コートがスポーツコートの代わりに、軍のカーキがタキシード代わりに、オーバーオールが蝶ネクタイやボーター帽の代わりに。靴は擦り切れ、ズボンには労働の痕跡が刻まれていました。
小細工も虚飾もなく、ただ真っ直ぐに人々の姿を記録したディスファーマー。彼の革新的で唯一無二の眼差しがなければ、忘れ去られていたであろう人々の生活は、今も鮮やかに語りかけてきます。