スクールユニフォームの起源
スクールユニフォームは、長きにわたり多くのイギリスの子どもたちの成長期に欠かせない存在として親しまれてきました。
その伝統は非常に古く、最も歴史ある学校のいくつかでは、何世紀にもわたって制服が受け継がれています。
1222年にはカンタベリー大司教が、大聖堂付属学校の生徒のために学者用ローブを導入したとされます。これは、回廊で学ぶ生徒たちを寒さから守る目的もありました。今日でもこの学校には「ビードル」と呼ばれる職員が存在し、制服の規律を守っています。
1552年頃、チャリティー団体「クライスト・ホスピタル」が学校の制服として長い青いコートを導入し、後に膝丈のブリーチーズと黄色い靴下が加わりました。この「ブルーコート・スクール」の名称は今もなお残っています。
学校ごとの違いと特徴
イギリスの名門パブリックスクール――その独特な制服は、エリート性の象徴としても知られています。
イートン校のシルクハットと燕尾服、少年期の生徒が着ていたスターチ入りのワイドな「イートンカラー」。チャーチルが嫌っていたとも言われます。ハロー校のストローボーター(カンカン帽)も有名です。やがて私立校やグラマースクールもこれに倣い、ジャケット、白シャツ、ショーツを制服に採用しました。

1825年頃になると「ブレザー」という言葉が広まり始めます。これはケンブリッジ大学・セントジョンズカレッジのボートクラブ「レディ・マーガレット」の赤いジャケットに由来します。
耐久性のある生地で作られたブレザーは、クリケットやボート競技のためにストライプやパイピングで装飾され、軍服としても使われました。フォーマルジャケットよりも軽快に仕立てられ、実用的で活動的な装いとして定着します。
1944年、ラブ・バトラー教育法の制定と第二次世界大戦の終結により、多くのイギリスの公立学校でも制服が義務化されました。そこには平等主義的な理念、つまり「共通の目的とアイデンティティを育む」という考えがありました。制服は、学びと大人の社会への準備を象徴する衣服となったのです。

制服と反抗の精神
多くの人にとって、シングルブレストのスクールブレザーは学生時代の象徴でしょう。
バーガンディやグリーンといった独特の色合い、胸ポケットの校章バッジ、そして「ラテン語の校訓」。それらは同時に、反骨心を持つ生徒たちにとって“個性を表現するためのキャンバス”でもありました。

ルールを破らずに“曲げる”ことを心得た生徒たちは、制服を遊び心とスタイルで自由にアレンジしていました。ブレザーのポケットにはバンドのステッカー、袖にはボールペンの落書き、襟は立てられ、袖口はまくり上げられ、それでもブレザーはいつだってタフで頼れる存在でした。放課後のバスの中、本やペンや煙草でポケットをいっぱいにしても、形を崩さない。
シャツのボタンは喉元まできっちり留めたり、あるいは逆に短くカットしてジャケットやセーターに直接縫い付けたり。ネクタイは太く短く結んだり、モッズ風に細く長く垂らしたり。ブレザーにスニーカーやブーツを合わせるのも日常の一部。
それがなぜかすべて、妙にスタイリッシュに見えたのです。

なかにはジーンズやドレストラウザー、ピンクのコーデュロイを合わせ、
70年代のプログレヘアで登校する強者も。
放課後のパーティでブレザーのままギターを弾き、音楽を鳴らし、自由を体現していました。
スクールブレザーを、今の自分のために
長い歴史と記憶を背負うスクールブレザー。
そのままの姿で着てもよし、エンブレムを外して自分らしくしてもよし。
少しラフに羽織っても、フォーマルにも通用する懐の深さがあります。
あるいはもう少し遊んでみてもいい。
AC/DCのアンガス・ヤングのように、ブレザーとショーツで反骨精神を表現しても。
ブレザーを自分のものにしよう。
自分の気分でアレンジして、予想外のアイテムと組み合わせて。
16歳の頃のように、堂々と、ルールを少しだけ曲げて着こなす。
それが真のスタイルです。
