黒を着る人には、多くのイメージがつきまといます。ひとつのエッセイが書けるほどですが、私にとって黒はまず「舞台芸術」に携わる人たちの色です。俳優やダンサーが日々の訓練で身につける黒は、いわば定番。色を排したその服は「大いなる平等主義者」として機能し、衣服を超えて個人と技術そのものに注目を集めさせます。
もうひとつは現代ロンドンのユースカルチャーです。私の育った街では、黒一色のスポーツウェアが若者の制服のようでした。おそらく目立たないからこそ。いずれのグループにとっても、黒は「集団としての力」を象徴し、前者にはアンサンブルの統一感を、後者には数の力を与えました。
「ブラック・イズ・ニュー・ブラック」。グレーが限界だった人にとっては新しい世界のように思えるかもしれませんが、実際には黒はずっと消えていません。ハイファッションの世界では定番であり、ニューヨーカーたちは今も日常に取り入れています。
黒い服は同時に厳粛で、スマートで、神秘的で、シックです。私が黒を好むのは、そのシンプルさとエレガンスにあります。そのエレガンスはしばしば「ブラックタイのディナー」や「葬儀」といった最もフォーマルな場面に限定されがちですが、実際には日中にも力を発揮します。全身をモノクロームにまとめれば、細部の遊び──ボリューム、色の濃淡、素材が光に当たったときの表情──が際立ちます。黒は他の色との調和も対比も可能にする色なのです。黒シャツにグレーのパンツを合わせる堅実な組み合わせもあれば、白一色の装いに黒いハットとブーツを差し込む演出も。赤シャツと黒レザーを合わせたコントラストもまた強烈です。
黒をまとうと、不思議と隠れる場所がなくなります。個人がそのまま前面に出て、特徴はどんな肌の色よりも濃いフレームで際立たされる。写真家アーヴィング・ペンが画家ジェイコブ・ローレンス夫妻を撮った肖像がそれを物語ります。二人は黒のロールネックとパンツを揃えて身につけ、カメラに凛とした眼差しを向けています。服の中立性が、彼ら自身とその絆を純粋に際立たせているのです。

